柳宗理 バタフライスツール60周年記念企画展 於 多摩美術大学
バタフライスツールの展覧会をお知らせいたします。
プロダクトデザイン専攻の学生作品も展示いたします。
みなさまぜひ足をお運びください。
柳宗理 バタフライスツール60周年記念企画展 於 多摩美術大学
BUTTERFLY STOOL 60th anniversary exhibition
at Tama Art University
会期:2017年10月16日(月)〜28日(土) 10:00〜18:00 入場無料 ※日曜休館会場:多摩美術大学 八王子キャンパス アートテーク 1F-101主催:多摩美術大学、柳工業デザイン研究会後援:Casa BRUTUS、インテリア産業協会、日本インテリアデザイナー協会協力:栃木県立美術館、Vitra、金沢美術工芸大学特別協力:天童木工、ケイズデザインラボ
公式サイトほか
公式サイト:https://www.butterflystool60th.com/
Facebook:https://www.facebook.com/butterflystool60th/
Twitter:https://twitter.com/butterfly_stool/
関連イベント
会期中に特別講義、ギャラリートークを予定。(日時未定)
展覧会概要
柳宗理デザインの「バタフライスツール」は、2016年に60周年を迎えました。1956年第一回柳工業デザイン研究会展(松屋銀座)で発表されて以来、多くの人々を魅了し続けてきたこの椅子は、世界の家具史においてもアイコン的存在となり、ニューヨーク近代美術館(MoMA)やルーブル美術館など各地の美術館にも収蔵されています。
「デザインの構想は、デザインする行為によって触発される」と言う柳は、常に手で考えるものづくりを行いました。バタフライスツールの印象的で軽やかなフォルムも、手遊びのように紙を折り曲げる中でうまれたのです。柳はこのかたちを椅子として実現させるため、仙台の産業工芸試験所で成形合板の研究をしていた乾三郎氏のもとを訪ねます。乾氏の協力で、当時の企業として日本で初めて成形合板を実用化した天童木工と研究・開発を行うことになり、数年の試行錯誤を経て1956年の発表を迎えました。
本展では、発表当時のオリジナルを含む様々な「バタフライスツール」を展示し、その60年の歩みを振り返るとともに、成形合板技術についてもご紹介いたします。また、柳工業デザイン研究会が行っている、柳宗理のデザイン手法を体感するデザイン実習に参加した本学 生産デザイン学科プロダクトデザイン専攻の学生作品も、合わせて展示いたします。
柳工業デザイン研究会 × 多摩美術大学
柳工業デザイン研究会では、2015年より大学生を対象とした二週間のデザイン実習を行っています。スケッチによって考えるのではなく、手を動かして模型を作りながら考えるという柳宗理のデザイン手法を体験するこの実習は、デザインプロセスの体得と、デザインの本質を学ぶことを目的としています。
本年、本学 生産デザイン学科プロダクトデザイン専攻の学生がはじめてこの実習に参加し、カトラリーをテーマに学生自身が考案したアイテムの制作に取り組みました。真摯にひとつのモノに向き合った二週間の成果を、ご高覧ください。
展示構成(予定)
1.バタフライスツール製造工程(映像有り)
2.各年代のバタフライスツール
3.バタフライスツール/天童木工/国内外のプライウッド作品等の年表
4.産業工芸試験所と乾三郎について
5.柳宗理のプライウッドチェア、国内外のプライウッドチェアの紹介
6.バタフライスツールのデジタルアーカイブ(3Dデジタルデータを使ったアーカイブの提案)
ほか、学生作品(デザイン実習のプロセス・成果発表)
主な展示品(予定)
1956年発表時のバタフライスツール、アクリル製バタフライスツール
バタフライスツール旧大(1965年)、バタフライスツール新大(1992年)、
Vitra 版バタフライスツール、バタフライスツール(現行)
・成形合板と天童木工
「成形合板」とは、丸太をカツラ剥きのように薄くスライスした材料を使い、接着剤を塗布してから重ね合わせて型に入れ、圧力と熱を加えてさまざまな形に成形する技術です。繊細なデザインと十分な強度を併せ持った木製品をつくることができます。
日本では、山形県にある天童木工が戦後まもなく実用化し、多くの建築家やデザイナーたちのイメージを具現化してきました。それらの多くは名作として現在でも称えられ、バタフライスツールはその代表として世界中で知られています。
柳宗理(1915-2011)
インダストリアルデザイナー。戦後間もなくデザインの研究に着手し、1953年財団法人柳工業デザイン研究会を設立。家具やキッチンツールなどの生活用品から大型公共構造物まで手がけ、東京・札幌のオリンピックデザインにも参加した。デザイン活動のかたわら、金沢美術工芸大学など多くの学校で長年にわたり教鞭をとる。1977年より約30年にわたり日本民藝館長も務めた。2002年文化功労者として顕彰される。